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仙台高等裁判所 昭和32年(ナ)3号 判決 1957年12月26日

原告 市場直記

被告 宮城県選挙管理委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告が昭和三二年八月七日原告の訴願につきした棄却の裁決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、その請求原因として

(一)  原告は昭和三二年四月一三日執行された宮城県柴田郡大河原町議会議員の一般選挙に際し第二選挙区で立候補し、一三二票の投票を得、同日同町選挙管理委員会から当選決定の通知を受け、それ以来同町議会議員として職務を執行してきた。

(二)  ところが、右選挙に立候補した訴外吉野正次は、大河原町選挙管理委員会に対し、原告の右当選の効力に関し異議を申立て、同選挙管理委員会は同年五月一三日さきに同町選挙会が無効と決定した「吉野正二」と記載し投票した六票は、選挙人が候補者吉野正次に投票した意思が明白に認められるとの理由で、これを同候補者の有効得票に加算すべきものとした結果、同候補者の得票は合計一三三票となり、原告の得票より一票多く、得票順位が反対となり、そのため原告の当選は無効と決定するに至つた。

(三)  そこで原告は右大河原町選挙管理委員会の決定を不服として、同年五月被告委員会に対し訴願を提起したところ、被告委員会は左記の理由により原告の訴願を棄却する裁決をした。

(1)  公職選挙法第六八条の規定に反しない限り、投票の効力を決定するに当つてはその投票した選挙人の意思が明白であればその投票を有効としなければならない。

(2)  「吉野正二」と記載した六票は、候補者中この記載に最も類似した氏名を有する者は吉野正次で、しかも名が「次」に対し「二」の一字違つているのみで、通常用いられている音読では全く一致し、また投票所のような場所では、一種の日常的でない特異の緊張感から往々文字を書き誤まるばかりでなく、当初から名を誤認して記載することもあり得るので、候補者吉野正次の誤字として有効投票と認めることが相当である。

(四)  被告委員会の裁決は公職選挙法第六七条、第六八条第二号に違反し失当である。すなわち、

(1)  有効投票であるとするには選挙人の意思が明白でなければならない現行選挙法においては、秘密保持の建前から選挙人の意思を明白に知ることができない。

(2)  候補者吉野正次の有効得票に加えられるべきものとする前記六票は、いずれもその記載が明確鮮明に「吉野正二」と記載され、しかもこの記載に該当する人物が当該選挙区に実在し、この吉野正次の前記選挙における出納責任者及び同候補者の選挙用ポスターの掲示責任者となつた者であつて、候補者吉野正次の選挙用ポスターには、掲示責任者として吉野正二の住所氏名が毛筆で明瞭に記載して掲示され、選挙人は一様に吉野正二に注意を払つたばかりでなく、同人は農事実行組合長、遺族会役員など部落の指導的役職にあつて、部落民から信望を集めていたから、「吉野正二」と記載した前記六票は、選挙人が候補者吉野正次に投票する意思で「吉野正二」と誤記したと認むべきではなく、右吉野正二に投票したものと認むべきである。したがつて、これを候補者吉野正次の有効得票であると解し、原告の訴願を棄却した被告委員会の裁決は失当である。よつてその取消を求める。と述べ、

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中、吉野正二が農事実行組合長その他部落の指導的役職にあつて、部落民から信望を集めていたことは不知、その余の事実は全部認める。

投票が有効であるかどうかを決定するに当つては、公職選挙法第六八条の規定に反しない限りにおいて、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならないことは同法第六七条の規定するところであり、その趣旨とするところは、民主政治の健全な発達を期するために、選挙人の意思を推察し難いが、または投票の秘密保持上支障を来し、選挙の自由公正を害するおそれの生ずべき場合を除き、投票はできる限り有効に解すべきことを定めたのである。公職選挙法がこのような規定をおいたのは、選挙人が必ずしも候補者の氏名を完全に記憶しているわけでなく、字をわきまえずに記載して投票する事例も少くないので、このような事態を予想したためと思われる。

投票に表われた氏名の記載が、候補者以外の実在者に該当する場合、その者が極めて著名な人であつて、特定の候補者の誤記とみるよりは、その実在者に投票したとみることが妥当であるほど強い客観的要素の存在している場合は格別、投票に表われた氏名の記載が特定の候補者の氏名に近似し、かつ、他に記載に近似する氏名または氏もしくは名を有する候補者がない場合は、記載に近似する候補者に対し投票したと認めることが相当であつて、この趣旨の判例は枚挙にいとまがない。

それゆえ、原告主張の「吉野正二」と記載した投票は、本件選挙の候補者中吉野正次に最も近似するものであり、しかもその通常用いられる音読では全く一致するものであるから、候補者吉野正次に対する投票と認めることが相当である。

選挙人は、投票所のような場所では、一種特異の緊張感から往々文字の書き誤りをするばかりでなく、当初から名を誤認して記載することもあり得るのである。このことは、投票成績が九三・七パーセントを示した本件選挙で、選挙会が候補者吉野正次の有効得票と決定した一二七票のうち、「吉野正治」と記載したものが一四票、「吉野政治」と記載したものが四票、「吉野次正」と記載したものが一票合計一九票の誤記投票があつたことからも推察される。

原告は吉野正二が部落民の信望を集めていたので右六票は同人に投票したものと解すべき旨主張するが、その証拠は薄弱で、吉野正次が前議員であつたこと、本件選挙で競争がはげしかつたことからすると、むしろ候補者吉野正次に投票したものと考えられ、候補者以外の吉野正二に投票したとみることはできない。

原告はまた、有効投票であるとするには、選挙人の意思が明白でなければならない現行選挙法においては、秘密保持の建前から選挙人の意思を明白に知ることができない旨主張するが、公職選挙法第六七条後段の趣旨は、同法施行前よりも厳格に解すべきものとする趣旨ではなく、選挙人の意思が投票の記載から判断できる以上は、できるだけその投票を有効とすべきものとする趣旨を示したものと解するのが相当である(昭和二七年七月一一日最高裁判決集第六巻七号六五三頁、行政事件裁判例集三巻六号(一三九))と述べた。

(立証省略)

理由

原告が本訴請求原因として主張する事実は、訴外吉野正二が農事実行組合長その他部落の指導的役職にあつて、部落民の信望を集めていたことを除き当事者間に争いがない。

証人鈴木享の証言によると、吉野正二は宮城県柴田郡大河原町金が瀬に居住し、かつては部落青年団長、大河原町議会議員、金が瀬堤部落の農事実行組合長などに選任されたことがあり、また現に金が瀬遺族会世話人、大河原町農業共済組合農地災害評価委員、金が瀬土地改良区総代などを兼任し、部落民の信望をある程度集めていることが認められる。

しかし、我国での公職選挙は永年にわたり立候補制度による選挙方法を採用し、候補者以外の者に対する投票が無効となることは一般公知の事実であり、選挙人が故意に候補者以外の者に投票する場合は格別、候補者に投票する意思で投票することが一般であるからある投票に記載された氏名が候補者以外の実在者の氏名に合致する場合でも、その実在者に投票したと認められる特別の事情が存しない限り、候補者に投票したものと解することが相当である。

本件についてみるに、「吉野正二」と記載した投票に合致する吉野正二が実在し、同人が部落民の信望をある程度集めていることは前認定のとおりであり、また同人が本件選挙に際し、第二選挙区から立候補した吉野正次の選挙運動につき出納責任者に選任されるとともに、同候補者の選挙運動用ポスターの掲示責任者となつて、そのポスターには掲示責任者として同人の住所氏名が明記され掲示されたことは当事者間に争いのない事実ではあるが、このような事実があつたからといつて、直ちに「吉野正二」と記載して投票した六票が右吉野正二に対し投票したものと認定することができないことはもとより、候補者中右投票の記載に近似する吉野正次がいたからには到底吉野正二に対する投票とは認め得ないのであり、その他右投票が吉野正二に対し投票したことを認め得る証拠はない。

ところで、「吉野正二」と記載した投票の氏名に近似する氏名の候補者が右吉野正次のほかにもあつたことについては何らの主張も立証もない本件では、「吉野正二」に近似する氏名の候補者は吉野正次のほかにはなかつたと認めるよりほかはない。そして投票に記載された「吉野正二」と候補者吉野正次の氏名とを対比すると、その間わずかに「二」と「次」の一字の相違があるだけで、しかもこの「二」と「次」の字は名に用いられた場合に同じく「じ」と音読されることが極めて多い事情を参酌すると、「吉野正二」と記載した六票は、いずれも選挙人が候補者吉野正次に対し投票したものと解され、同候補者の有効得票と認めることが相当である。この点につき原告は、投票の秘密保持の建前から選挙人の意思を明白に知ることができない旨主張するが、公職選挙法第六七条後段の規定は、投票書につきその意思を明らかにすることを必要としたものではなく、投票の記載から選挙人の意思が判断できるときは、できるだけ投票を有効とすべきものとする趣旨を示したのであり、前記の六票はその記載から候補者吉野正次に対し投票する意思が明白であるといわなければならない。

そして、本件選挙に立候補した者のうち、第二選挙区から原告及び吉野正次が立候補し、選挙の結果吉野正次が「吉野正二」と記載した六票のほか一二七票の投票を得、原告が一三二票の投票を得たことは当事者間に争いなく、吉野正次の有効得票一二七票に同候補者の有効得票と認定した右の六票を加えると、同候補者の得票は一三三票となり、原告の有効得票一三二票より一票多く、原告に優先するから、原告の当選は無効というべきであり、原告の訴願を棄却した被告委員会の裁決は相当であつて、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 沼尻芳孝 羽染徳次)

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